考え方

うざいHSPになってない?最近のHSPという言葉に感じる違和感

「HSP」という3文字のアルファベットを最近よく目にしませんか?

今日はこのHSPを主張する人が苦手。言ってしまえばその主張が「ちょっとうざい…」という話です。

予め申し上げておくと、HSPの人が悪いとかいうことではありません。
HSPを「自分を正当化する手段」のような感覚で広まってしまうと、むしろHSPが邪険に扱われるようになってしまうという点を懸念しています。
※そういう人を「モンスターHSP」と呼びたいと思います。

「HSP」という新しい気質の概念について

HSPは「Highly Sensitive Person(ハイリーセンシティブパーソン)」のことで、『繊細で敏感な気質』という人間の持つ気質の概念です。

このHSPの概念は、本やウェブなどでここ最近認知度が広まってきていて、「自分はHSPだ」と言う人をYouTubeやツイッターなどネット上でもよく見るようになってきています。

HSPの歴史はまだまだ浅く、精神疾患ではないことや正式な診断も存在しないことから、ほとんどの人はHSPに関する情報インターネットで見て「自分はHSPなのかもしれない」と自己診断していると考えられます。
ちなみに私自身もネットのHSPチェックをやってみると『中等度』と診断されます。

そんな「自分はHSPだ」というの人の中には、

「自分は他の人より繊細なのだから、もっと優しく接してほしい」

とか

「繊細に感じることができる自分は鈍感な人より感覚が優れている」

とか、そんな態度を前面に出してくる人もおり、何だか違和感とちょっとしたイラ立ちを感じるのも事実です。

そんなモンスターHSPに対して「モヤッ」としている気持ちを吐き出したいと思います。

HSPだからといって周囲に配慮を求めるのは違う

モンスターHSPの人の中には言葉を選ばずに言うと「うざい」と感じてしまう人もいます。

自分が繊細な気質であるということを自分で理解し、気を付けて生活をするのは分かります。
ただ、「自分はHSPなんだ」とアピールし、「自分は繊細だから丁寧に扱って欲しい」とか、「優しくして欲しい」などと自分に対する配慮を当然のように求めてくるのは正直不快なだけです。

優しくして欲しい、丁寧に接してほしいという気持ちは理解できます。
誰だってそうです。優しくしてもらったり丁寧に扱われた方がうれしいじゃないですか。

でも、自分から繊細であることを盾に周囲に特別扱いして欲しいと求める姿勢は、何だか自己中心的で図々しく思ってしまうのです。

そんなことを言うと「だってHSPで繊細なんだから。そんなことを言われるなんてひどい。とても傷ついた」などと被害者面で開き直られる…なんてことも起こるわけで、非常にめんどくさい。

そうなってくるとモンスターHSPの人に対して距離を置きたくなる人が増え、「HSP=面倒な人、関わりたくない人」という印象にもつながります。

もちろんそういった人たちは一部で、本当に繊細で周囲に気を遣って疲れてしまっている人もいます。

しかしHSPに関する否定的な印象が、HSPを自覚しながら、生きづらいと感じる社会の中で自分の性質とのバランスを取りながら生活を営もうと頑張っている人に対しても、誤解や偏見を生むことになるのではないかと思います。

HSPだから優れているという考え方は危険

もう一つ自称HSPの人にありがちなのが、HSPの代表的な性質である「繊細さ」を長所として鈍感な人を下に見ることです。

もしくは自分は繊細で素晴らしい感性を持っている人だと勘違いとも言えるような思想に至ってしまうことです。

たしかに鈍感な人と比較すればHSPの人が繊細である点では上回っているかもしれません。
より多くのことに気が付きやすく、人の気持ちや感情を想像に寄り添うことは得意かもしれません。

しかし、繊細であることは鈍感な人を格下に見る理由にはなりません。
細かいことを気にしすぎて先に進めなかったり、自信をもって振舞えなかったりすることもあるでしょう。

「繊細だから優れている」と評価することにはむしろ危険な思想ではないかと思います。

繊細な自分と鈍感な他者を比べ、その人がどう感じるかには気付かないのでしょうか。
そうなると、「HSP=自分が傷つくことには敏感だけど他人が傷つくことには鈍感」という、イメージになりかねませんし、「HSPは自分に甘く他人に厳しい人」というレッテルを貼られてしまう可能性もあります。

過度にHSPを主張すると余計生きづらくなってしまう

HSPの方は生まれ持った繊細さや育った環境から、学校や職場でなじめず苦労をして過ごしてきたと思います。

しかしある意味HSPを名乗る人は「自分は一般社会で通用することが難しい社会的弱者です」と主張しているとも言えます。

生きづらさを抱えていること、悩んでいること、それを主張すること自体は別に否定されることではないと思います。
声を上げて主張することで同じ悩みを持つ人との交流が生まれ、解決策を見出し、自分の生きづらさを和らげる助けになるでしょう。

ただし、「私はHSPという社会的弱者です、だから皆さん私に配慮してください」と、周りに対して配慮を求めるようになってしまうと、反感や批判の声が生じ、ますます「HSP=メンドクサイ人たち」と思われ自分たちの首を絞めてしまうことになります。

社会的に生きづらいという弱点を持っているとしても、自分の主張を社会側が受け入れてくれることに期待するだけで自分で折り合いをつける努力をしないのでは、生きづらさに悩み続けるだけでなく不満を抱えて生きていくことになるでしょう。

HSPってバーナム効果じゃないの?

これは私の個人的な意見ですが、HSPはバーナム効果ではないかということです。

「HSPあるある」をツイッターやYouTubeで見ると、誰にでも多少は当てはまること、つまりバーナム効果も一部あるのではないかと感じるのです。

※バーナム効果:誰にでも当てはまるような曖昧な内容を、自分にだけ当てはまっていると思い込んでしまう現象を指す心理学用語。血液型占いや正座占いなど、信ぴょう性には乏しいものの、未知なる自分の姿を知れるものや自己診断絡みのものに、利用されている。

中には本当に繊細で生きることが大変で、周りの人に気を遣って疲れてしまう、自己肯定感が低いまさにHSPな方もいるでしょう。

しかしバーナム効果によって誰にでも当てはまるHSPあるあるが拡散されてしまうと、「HSP」の概念を理解してもらうことを本当に必要としている人たちにとって、「HSPの人っていちいち何だかめんどくさくない?」とマイナスの印象を与えかねません。

周囲への配慮を求めるだけで自分の内面から解決しようとしないモンスターHSPは正直うざいだけです。

HSPの気質に自分としてどう対処するか

最後に、これまでのことをまとめます。

  1. HSPは繊細な気質の概念であり、精神疾患ではない
  2. HSPを盾に「優しくして欲しい」とか「丁寧に扱ってほしい」と周囲に求めるのは違う
  3. いちいちHSPだからと主張してただ社会からの理解を得ようとするのはただのメンドクサイ人

HSPは、相手の些細な言動が気になってしまったり、自分の言葉に気を遣いすぎたりと、繊細で敏感な気質の持ち主です。

ただ、それを理由に優越感を持ってHSPでない人を下に見たり、丁寧に扱うよう周りに主張するのは違うと思います。

SNSや本などでHSPに関するたくさんの情報が発信されていますが、それらは自分が繊細な気質であることを自覚し、避けた方がいいことに注意したり得意なことにフォーカスするためのヒントにすぎません。

「HSPの辛さは本人にしか分からないし、もっと優しくしてほしい」と思う方もいるでしょう。

その通りで、誰も他人の本当の辛さなんで分かり得ないです。

だから自分が自分の気持ちと向き合うしかないのだと思います。